子どもを感じる

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前の記事の続きになるが、子どもたちとソーラン節を踊ることが僕に何を与えたのか。

それは、子どもを感じること。

今回のプロジェクト活動をこちらで始めてからすでに半年以上が経ったころ、僕は日々
の生活にどこか物足りなさを感じていた。プロジェクトが波に乗ってくるに伴いどうしても
事務仕事が多くなる。ひどい時は1日5時間以上パソコンの前に座っていることもある。
たったの5時間?!と思うが、ここモンチアズールではその時間は想像以上に退屈だった。
老若男女が広場や道端、パン屋のベンチ、仕事場と様々な場所で遊んだり話したり、
笑ったりしている。
そんな姿を横目に事務所でパソコンとにらめっこはきつい。

まずは、プロジェクトの建設現場での肉体労働に参加することにした。スポーツ経験の
長い僕は少し体を動かせばリフレッシュする。ただ、現場の仕事もやりすぎると疲れきっ
てしまうので、朝7時から2時間ほどにとどめている。

そして次に僕が手を出したのは、子ども。
モンチアズール最大の魅力と言ってもいい子どもとの仕事。モンチアズールは子どもに
対する教育支援をメインにして活動している。モンチアズール創始のきっかけもやはり
子ども。

そこで、僕が思いついたのがソーラン節教室。僕が2年前モンチアズールで活動していた
ときからの友達が教育者となり、彼の学童保育の子どもたちに対してソーラン節を教え
たいと提案してみるとあっさりと承諾してくれるどころか、彼の方が乗り気になってくれた。

僕はそれほど子どもと遊ぶのが得意ではないが、彼が上手くフォローしてくれて
なんとかソーラン節は上手くいった。
そのソーラン節を教えていた子どもたちの中に一人特に印象的な子どもがいた。
ギレミという名前の男の子。
確か2回目のレッスンの途中に、他の子どもともめていたところを僕が注意するとすねて
どっかに行ってしまった。それ以来彼はレッスンに参加することなく、みんなが踊りを練習
している時間は図書館で一人で本を読んでいることが多かった。

ところが、最後から2回目のレッスンの日。昨日までのことは全て忘れたかのように、ギレ
ミは一番前の列に来て「さぁ、踊ろう!!」と自ら率先して踊ることを要求してきた。
もちろんレッスンをずっと休んでいたので、ほとんど踊れない。踊れなくなると
「ここはまだ習っていないー。」と言いながらも僕のマネをしながら一番楽しそうに踊って
いた。

そして、日本祭りの当日も、雨が降ってみんな帰ってしまったのにも関わらず、一人で
会場に残り、発表が始まるまでずっと待っていてくれた。

なんと子どもはわかりやすいというかわかりにくいというか。
でも、子どもは僕たちの心と行動にそのまま反応するなってつくづく思う。
子どもと接するということはそれだけ自分という人間を試す機会なのかもしれない。

そしてソーラン節教室が終わった今、次はどうやって子どもを感じようか。

そこで今日から始めたのが、モンチアズールの保育園での仕事。
ホントに久しぶりて気がした。正確に言えば約2半ぶり。
僕がブラジルに初めて到着してモンチアズールに来たとき、最初の仕事場は保育園
だった。まだ言葉が全く分からない状態で、必死で子どもと遊び、教室を掃除しまくった
のを覚えている。そして今日から年末までの少しの間だが、毎日昼から保育園のお手
伝いをさせてもらうことになった。

さて、ここの保育園で僕はどのように子どもを感じるのだろうか。


DSCF0735.jpg
2007年こどもの日。デジカメで写真を撮ると子どもたちは、すごい勢いで画面を見るために走ってくる。

20091214
ふくいとしのり

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このページは、としのりくんが2009年12月15日 09:33に書いたブログ記事です。

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